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ダヴィッド・オイストラフとストラディヴァリウス ☆買取コム

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    こんにちわ、担当Sです (=゚ω゚)ノ 

    今回はダヴィッド・オイストラフです。


    1908年の今日はダヴィッド・オイストラフの誕生日であります。

    ダヴィート・フョードロヴィチ・オイストラフは、
    ソ連(現在はウクライナ)のオデッサ出身のユダヤ系ヴァイオリニスト。

    オイストラフといえば【ストラディヴァリウス】です

    現在、銘器の代名詞のように言われているのが、
    このストラディヴァリによって生み出された楽器である。
    多才さと完璧さで彼の右に出るものは彼以前も彼以降も現れていない。
    彼は生前から名工として名を成しており、
    王侯貴族からの注文も多くあったと言われている。
    非常に勤勉な性格から、生涯に約2000本ものヴァイオリンの他、
    少数だがヴィオラ、チェロも製作した。

    その全ての作品は美しいアウトラインと精密な仕上げ、
    透明度が高く、燃えるような美しいニスを持つ。
    彼は自分の作品に誇りを持ち、はっきり彼の作品とわかるよう独自のラベルを貼った。
    弟子の手が多くかかっている楽器には「Sotto la disciplinn」のラベルを貼り、これを区別した。

    ストラディヴァリの作品は製作時期により大きく3つのアウトラインに分類できる。
    1つ目はアマティモデル、次にロングストラドと呼ばれるモデル、
    最後が黄金期に作られたラージモデルである。
    突出した技術を持ちながら、常に完成形を求めて試行錯誤を繰り返していたのだ。

    最盛期はラージモデルを製作した1700年代と言われているが、
    その後も以前のフォームを使用して作品を製作した。
    その中にはラージモデルを凌ぐ仕上がりのものもある。
    表板の松材には木目がまっすぐで間隔も一定のものを選んで用いている。
    その音色は明るく澄み切っており、特に高音の輝かしい音色が特徴である。

    【ストラディヴァリウス】

    ご自宅に、有名画家の絵画や版画等御座いましたら、
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    筆:S
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    フランソワ・ブーシェとロココ時代 ☆買取コム

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      こんにちわ、担当Sです (=゚ω゚)ノ 

      今回はフランソワ・ブーシェです。

      1703年の今日はフランソワ・ブーシェの誕生日であります。

      フランソワ・ブーシェは、ロココ時代のフランスの画家。

      1703年、パリに生まれ、1770年、同地で没する。
      1723年ローマ賞を受賞し、1727年からローマに3年ほど滞在した。
      (ローマ賞はフランスの絵画アカデミーにおいて若手の登竜門となっていた賞で、受賞者は国費でローマ留学ができた)
      帰国後は、ポンパドゥール夫人をはじめとするパトロンの庇護を受け、
      上流社会の肖像画や神話画などを優雅なタッチで描いた。
      メートル・ド・プレジール(快楽に奉仕する画家の意)の称もある、
      フランスロココ絵画の典型的な画家である。
      多作家として知られ、油絵のほか、壁画装飾、
      タピスリーの下絵制作などの仕事も多い。

      なお、ブーシェのいとこの息子は
      後に新古典主義の代表的画家となったジャック=ルイ・ダヴィッドである。

      【水浴のディアナ(1742年)】

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      筆:S
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      アレクサンドル・カバネルとナポレオン ☆買取コム

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        こんにちわ、担当Sです (=゚ω゚)ノ 

        今回はアレクサンドル・カバネルです。

        1823年の今日は、アレクサンドル・カバネルの誕生日です。

        【自画像(1852年)】

        カバネルはエロー県モンペリエに生まれた。
        アカデミックなスタイルで、歴史、古典、宗教をテーマに絵を描いた。
        肖像画家としても有名だった。
        『Diccionario Enciclopedico Salvat』によると、
        カバネルはアール・ポンピエの典型であり、
        フランス皇帝ナポレオン3世のお気に入りの画家だった。

        カバネルは17歳でエコール・デ・ボザールに入学した。
        フランソワ=エドゥアール・ピコ(en:François-Édouard Picot)について学び、
        1844年、サロンに最初の出展を果たす。
        1845年には22歳でローマ賞を受賞。
        1863年にはフランス学士院のメンバーとなり、
        同年、エコール・デ・ボザールの教授に就任した。
        また、1865年、1867年、1878年と、Grande Médaille d'Honneur(最高名誉賞)を勝ち取った。
        このように、カバネルはパリ・サロンと密接な関係を持っていた。

        彼は定期的にサロンの審査員に選ばれていた。
        サロンの教え子も何百人といる。その教え子たちのおかげで、
        カバネルは、同世代の、
        ベル・エポック・フランス絵画の特徴を持つ他の画家たちより多くのことを為し得た

        カバネルとウィリアム・アドルフ・ブグローが
        印象派画家エドゥアール・マネなどの絵のサロンでの展示を拒否したことが、
        1863年の落選展の騒動を招いた。

        成功したアカデミック画家として、
        カバネルが1863年に描いた『ヴィーナスの誕生』は、
        19世紀のアカデミック絵画で最もよく知られている絵である。
        この絵はナポレオン3世が購入した。

        1875年に銀行家ジョン・ウルフのために描いたその複製画は、
        1893年にウルフが寄贈して、現在ニューヨークのメトロポリタン美術館にある。

        【ヴィーナスの誕生(1863年)】

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        筆:S
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        アリスティド・マイヨールとロダン

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          今回はアリスティド・マイヨールです。

          1944年の今日は、アリスティド・マイヨールが亡くなった日であります。

          【自画像】

          マイヨールは、今日では彫刻家として知られるが、
          本格的に彫刻を手掛けるようになるのは40歳を過ぎてからであり、
          それ以前は画家、グラフィックアーティストおよびタピスリー作家として活動していた。
          近代フランスの彫刻家のうち、
          ロダンはダンテの文学などに着想を得た文学性の強い作品を作り、
          ブールデルはモニュメンタルで男性的な肖像や記念像を多数制作した。
          これに対してマイヨールは、彫刻家としての40年にわたるキャリアを通じて、
          女性の裸体像をほとんど唯一のモティーフとして制作を続けた。
          マイヨールの女性像においては物語性や寓意性は抑制され、
          モデリングは単純化されて古典主義的な調和と空間構成が強調されている。

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          筆:S
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          テオドール・ジェリコーと競馬 ☆買取コム

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            今回はテオドール・ジェリコーです。

            1791年の今日は、テオドール・ジェリコーの誕生日であります。

            【自画像(1816年)】

            ジェリコーの作風は、古典主義を基本にしたものだが、
            生来神話画や宗教画を好まず、現実社会の描写に深い関心を示した。
            生と死が隣り合わせの極限状態における
            人間の姿を描いた『メデューズ号の筏』をはじめとする彼の作品は、
            人間存在の本質に迫り、徹底した写実を追求した。
            こうした彼の仕事は、ドラクロワらのロマン主義、クールベらの写実主義など、
            19世紀ヨーロッパの主要な絵画運動の先駆的存在と位置付けられる。

            馬などを題材にして、激しい動きの一瞬を描きとめた作品には印象派などの近代絵画を先取りした部分も見られる。

            ジェリコーは1791年、北仏ルーアンの裕福な家庭に生まれ、
            1796年頃に家族とともにパリに移住した。
            資産家で弁護士でもあったジェリコーの父親は、
            息子が画家以外の安定した仕事に就くことを望んだが、
            ジェリコーは絵画への情熱を捨てきれず、
            1808年、カルル・ヴェルネという画家に弟子入りした。
            画家としてのジェリコーは、
            古代の神話や聖書の物語よりも身の回りの現実を描くことに関心を示した。
            特に馬に対する関心は並々ならぬものがあり、
            生涯にわたって馬を題材にした作品を多く残している。
            師のヴェルネは、馬や騎馬人物像の画家として当時の第一人者と言われた人物であったが、
            ジェリコーは師の描く馬は単なるきれいごとであり、
            動物としての躍動感に欠けていると感じていた。

            【メデューズ号の筏】

            ヴェルネのもとを去ったジェリコーは、
            1810年から1811年にかけてピエール・ナルシス・ゲランという画家に師事する。
            ゲランはナポレオンの肖像画で有名な新古典主義の巨匠ダヴィッドの流れを汲む大家であったが、
            ジェリコーはこの師にも満足せず、ルーヴル美術館に通って、
            ティツィアーノ、ルーベンスら過去の巨匠たちの作品を師とするようになった。

            1812年、21歳のジェリコーは『突撃する近衛猟騎兵士官』をサロン(官展)に出品し金賞を得た。
            この作品は激しい動きを見せる馬に乗った士官が振り向きざまに号令をかける一瞬を描いたもので、
            馬が主要なモチーフとなっている。続いて1814年、『戦場から去る負傷した胸甲騎兵士官』を出品した。
            ジェリコーが正式に出品した作品はこの2点と『メデューズ号の筏』の計3点だけである。

            当時のフランスは、ナポレオンが退けられ、
            ルイ18世が即位して王政復古が行われるなど波乱の時代であった。
            ジェリコーはこの時期、自ら近衛騎兵に志願したこともあったが、
            ナポレオンが復活してルイ18世が亡命するに及び、再び画業に戻った。

            ジェリコーは1816年から1817年にはイタリアに滞在し、
            過去の巨匠の作品に学ぶが、中でもミケランジェロのダイナミックな人物表現に影響を受けた。
            ジェリコーの馬に対する執心は続いており、
            ローマにおいてもカーニバルの裸馬の競走を題材にした作品を描いている。

            フランスへ帰国後、1819年のサロンに問題作『メデューズ号の筏』を出品し、
            賛否両論を巻き起こした(この作品については後述)。
            1820年から1822年にはイギリスに滞在し、1821年には代表作の1つ『エプソムの競馬』を描いている。
            駆ける馬の一瞬の姿を画面に描きとめたこの作品は、
            印象派のドガを先取りするものと評されている。
            フランスへ帰国後、1822年から1823年にかけて精神障害者をモデルとした人物画連作を描いている。
            しかし、1823年には落馬や馬車の事故などがもとで持病の脊椎結核が悪化し、
            1824年1月、33年に満たない生涯を閉じた。
            死の間際に発した言葉は「まだ、何もしていない」だったと言う。

            【エプソムの競馬】

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            高田 誠と風景画 ☆買取コム

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              こんにちわ、担当Sです (=゚ω゚)ノ 

              今回は高田 誠です。
              1913年の今日は高田 誠の誕生日であります。


              高田 誠は、洋画家、文化功労者。

              【妙高残雪】

              埼玉県浦和市(現・さいたま市)生まれ。
              浦和中学校(現・埼玉県立浦和高等学校)卒。
              跡見泰(ゆたか)に師事し、16歳で二科展に初入選。
              1930年より安井曾太郎に師事。
              一水会展、新文展、日展に出品し、
              55年埼玉大学教育学部美術科講師。
              61年埼玉県美術家協会会長。
              62年日展評議員。
              1968年「雑木林のある風景」で日展文部大臣賞受賞、埼玉県教育功労者。
              1972年日本芸術院賞、73年日展理事、77年埼玉県文化功労者、78年日本芸術院会員。
              1987年文化功労者。

              【湖畔秋色(1938年)】


              ご自宅に、等御座いましたら、
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              シュザンヌ・ヴァラドンがモデル ☆買取コム

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                今回はシュザンヌ・ヴァラドンです。

                1865年の今日はシュザンヌ・ヴァラドンの誕生日であります。


                シュザンヌ・ヴァラドンはフランス、モンマルトルの画家。
                スュザンヌ(スザンヌ)・ヴァラドンとも呼ばれる。
                画家になる前は、著名な画家のモデルでもあった。
                画家モーリス・ユトリロの母である。
                人物をほとんど描かなかったユトリロとは対照的に、
                ヴァラドンの作品の主題はほとんどが人物であり、
                高いデッサン力に支えられた太い簡潔な線は、
                対象の特徴を容赦なく捉え力強い。
                ヴァラドンはユトリロが画家として成功するまで、
                息子に絵画の才能があるとは思っておらず、
                また息子も母から絵画を学ぶことはなかったため、
                互いに影響を受けることなく、独自の画風を確立している。

                【二日酔い(ロートレック作、ヴァラドンの肖像)】

                ヴァラドンは、オート=ヴィエンヌ県ベッシーヌ=シュル=ガルタンプで
                貧しい洗濯女の私生児として生まれた。
                1870年に母マドレーヌとともにパリへ移り住み、
                10代の初めから様々な職に就いた。
                一時期、あこがれていたサーカスのブランコ乗りになるが、
                ブランコから落ちて負傷しブランコに乗れなくなったため、
                10代後半で絵画モデルになる。
                ルノワールの「ブージヴァルの舞踏会」、
                「都会のダンス」(オルセー美術館蔵)、
                パリ大学大講堂にあるシャヴァンヌ作「聖なる森」、
                ロートレックの「二日酔い」は、ヴァラドンがモデルである。
                当世一流の画家たちの仕事に接することによって、
                彼女もまた画家を目指すようになった。
                18歳の時、息子モーリスを生む。実父が誰かはわかっていない。
                1886年頃からヴァラドンと同棲していたロートレックは
                彼女の正確で力強いデッサンを評価し、画家への道を開いた。
                その後、デッサンを多数購入し、
                彼女を庇護したエドガー・ドガのもとで油彩と版画を学ぶ。
                1893年、エリック・サティと交際したが半年で破局。
                1894年ドガのすすめでサロンにデッサンを出品、
                ソシエテ・ナショナル・デ・ボザール女性初の会員になる。
                1896年、資産家のポール・ムージスと結婚。1909年、
                息子より3歳年下の画家志望の青年アンドレ・ユッテルを恋人にし、ムージスとは離婚。

                ユッテルをモデルにした「アダムとイブ」、「網を打つ人」など
                彼女の代表作となる作品を次々に製作した。
                1914年ユッテルと正式に結婚。
                1920年サロン・ドートンヌの会員になる。
                1932年パリ最大のプティ・ジョルジュ画廊で大回顧展が開催され、
                フランスの首相エドワール・エリオがそのカタログに序文を寄せる。
                1937年、彼女の主要作品がフランス政府によって買い上げられ、
                後にパリ国立近代美術館に所蔵される。
                1938年、自宅で倒れているところを隣人に発見され、
                病院へ搬送中に脳充血で死去。

                【ルノワール作 ヴァラドンの肖像 1880年】

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                ジョゼフ・デュプレシの肖像画 ☆買取コム

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                  今回はジョゼフ・デュプレシです。

                  1725年の今日はジョゼフ・デュプレシの誕生日であります。

                  【自画像 1801年】

                  ジョゼフ・デュプレシは、フランスの画家。肖像画で有名。

                  【クリストフ=ガブリエル・アレグレインの肖像 1774年】

                  【ルイ16世の肖像 1775年】


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                  ジョゼフ・デュプレシの肖像画 ☆買取コム

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                    今回はジョゼフ・デュプレシです。

                    1725年の今日はジョゼフ・デュプレシの誕生日であります。

                    【自画像 1801年】

                    ジョゼフ・デュプレシは、フランスの画家。肖像画で有名。

                    【クリストフ=ガブリエル・アレグレインの肖像 1774年】

                    【ルイ16世の肖像 1775年】


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                    八島太郎と絵本 ☆買取コム

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                      今回は八島太郎です。

                      1908年の今日は八島太郎の誕生日であります。


                      鹿児島県立第二鹿児島中学校から東京美術学校に進むが、
                      軍事教練をボイコットしたため退学処分を受ける。

                      その後、日本でイラストレーター・漫画で成功するが、
                      日本の軍国主義に反対したため10回に渡り投獄される。
                      友人であった作家小林多喜二が特高の拷問で死亡した際には、
                      多喜二の死に顔をスケッチする。
                      その後、1939年、芸術を学ぶためニューヨークに渡る。
                      1943年、「The new sun(新しき太陽)」「ブラウン文庫 4827」を刊行したことにより、
                      アメリカ合衆国で「野蛮なサルではない日本人もいる」という記事が載る。
                      第二次世界大戦中は、戦時情報局(OWI)で働き、対日宣伝活動に加わる。
                      沖縄侵攻作戦では、一人でも多くの日本人を救うため、
                      命の重要さを説く詩を書き、戦略爆撃機から投下する沖縄の日本兵へ投降を呼びかけるビラの製作に携わった。


                      戦後、後に俳優として活躍する息子のマコ岩松をニューヨークに連れて行く。
                      ニューヨーク・マンハッタンにおいて、Yashima Studioを立ち上げ、
                      多くのアーティストたちと交流する。

                      1950年代初頭からは子供たちのための絵本の製作も始め、
                      1955年に「Crow Boy(からすたろう)」、
                      1958年に「Umbrella(あまがさ)」、
                      1967年に「The Seashore Story(海浜物語)」でコールデコット賞次席。
                      1972年、第23回フランスデヴィユ国際美術展でグランプリを受賞。

                      1994年、カリフォルニア州の自宅で85歳で死去した。


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                      筆:S
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